お久しぶりです、コウスケです。
先日年が明けたと思ったら、巷はもう3月。
4月から就職して働き始める人も多いことでしょう。
入社前の面接などでもそうだったでしょうし、
入社後もそうなんですが、
「やりたいことはなんですか?」
としばしば訊かれることになるかと思います。
むしろ働き始めたあとのほうが、
所属する組織や従事対象の細分化につれ、
求められる内容も多く、その解像度も高くなっていきます。
そんなときに、
「私のやりたいことはこれです」
と明瞭に具体的に答えられる健康的な人は、
この先を読まずとも問題ありません。
そうでない人は、
「【やりたくないこと】をリストアップする」
ことから始めることもよいかもしれません。
そこから逆算して選択肢を狭めていくことで、
【やりたいこと】の輪郭がくくりだされる、
という具合です。
例として、ゲーム業界ぽい設定で考えてみると、
・日々決められたルーチンワーク作業
↔日々予定が違い、新しい刺激がある作業
・チーム作業で、人間関係に対しても工夫をしながら物事を進める
↔自分で完結する作業で、ある程度自分の裁量でものごとが進められる
・大規模開発の一部分のみの専業作業で、ユーザーのリアクションに関わるアプローチがしにくい
↔小規模開発で、直接ユーザーのリアクションに関わるアプローチがしやすい
・つくっているものの社会的意義を感じにくい要素を担う仕事
↔世の中への影響を感じやすい要素を担う仕事
・プレイしていて操作性が悪く、ストレスフル
↔操作性がよく、気持ち良いゲームを作る
【やりたくない】をリストアップし、相反するものを出してみて、
その結果洗い出された項目でやれる事って何だろう?・・といった具合です。
ゲームの企画を詰めるときなども、
こういった手法は使われたりします。
私がこの考え方をよいと思った理由は、
一つは、
「やりたくないことは本質的である」
ことです。
なぜなら、「やりたくないこと」というのは
その人がそれまで生きてきた上での恐怖・不安という、
本能的な感情の痕跡のようなものであると思うからです。
そういった本質的なものに逆らい、無理やりやろうとすることは、
一定程度に引き上げることはできても、あなたの強みにはなりにくいと思います。
ここまで書いておいてなんですが、
本質的なものに逆らい、無理やりやってみることによる発見も存分にあります。
少しでもやってみたいと思っているが食わず嫌いでやっていない要素があるならば、
こんな他人の知識・見解など無視し、
実際にやってみたうえでの感情や感覚の蓄積が必要だと思います。
それらが自分の中にあってこそ、本当にやりたいことを
やれているときの手応え・実感を浮かび上がらせるだろうからです。
もう一つは、
「やりたくないことを考えることで、
逆説的にそれをやる人の価値に気づける」
ことです。
そもそもの世の中への価値・サービス提供として
ゲイン型:何か喜び、楽しみを得ること
ペイン型:面倒や苦痛をとりのぞくこと
と大別されるという考え方があります。
これは人間のタイプにもあてはまって、
ゲイン型:とにかくやりたいことをやる
ペイン型:誰かのやりたくないことを代わりにやる
がありそうです。
後者のようなタイプは、とても価値があると思うのですが、
「やりたいこと」ということばの文脈だけでは、
そのことへの連想がされにくいかもしれません。
さて、そうこうしてやりたいことが浮かび上がったとしましょう。
それが存外周りを動かす必要のある大きなことだったりして、
所属する場所・環境の方向性と合わないこと、
そもそも方向性そのものを作らなければならない、
こともあります。
そういったときは、私のアプローチだと
アクションは以下の2択に絞られます。
・なんとかして周りに自分のやりたいことを認めてもらう
┗とても大変そうです
・属する場所、環境を変える
┗こちらも不確定要素は大きいです
もし前者を行う場合は、一人でやるのはとても大変なので、
「二人目のフォロワー」を見つける必要があります。
詳しくはこの「社会運動の起こし方」
という3分のTEDトーク動画を参照してみてください。
一人目の「踊るバカ(=あなた)」に追従する、
一人目と三人目以上(=集団)をつなぐ「二人目のフォロワー」こそが、
一人目よりも重要な存在である、ということです。
そういった存在をその環境で得られるかが、鍵となるでしょう。
もしかすると、それはあなたの「やりたくないこと」で、
あなたの周りの誰かの、「やりたいこと」なのかもしれません。