「怖い<怖いもの見たさ=トイレ行けなくなる 」
の呪縛から逃れられずに数十年
こんにちは大阪デザイナーの阿部です。
ちょっと前にPSNで配信されたPS4のPTのプレイアブルティザー を
昼休みに皆で会社のオープンスペースでやっていました。
やめりゃいいのに怖いもの見たさが勝ってプレイを見続けてしまい
案の定、午後は怖くてトイレに行けませんでした。大人なのに!!!
怖いと言えばもう一つ
二年ほど前に出たフリーゲームなのですが 私には怖すぎて未だにクリアができません。
このタイミングでお化けが出てくるというのは分かるのですが
分かってるが故にそこから先に進むことができず、今に至る・・・・。
怖いゲームをそんなに怖いと思わず、涼しい顔でプレイできる人は 本当にすごいなと思います。
ここで日記のタイトルのお話しになるのですが
同じゲームで、怖いと思う人と思わない人がいて
これ何が違うのか分かりますか?
答えは単純
ゲームをプレイする人の受け取り方が違うのです。
怖いと思う人も思わない人もやってるゲームは同じ、変わりません。
違うのは受け取り側なのです。
改めて言わなくても本当に普通で当然のことなのですが。
当然の事過ぎて気づきにくいことなのではないでしょうか?
でもこの 印象は「受け取り側=自分」によって変わるという事は
つまり
物事に対しての印象は自分の中である程度操作できる
ということなのです。
貴方がその物事に対しての受け取り方を変えれば
物事に対する印象は変わるのです。
何言ってんだ?ってなるかもですが
この受け取る側の違いによって物事の印象が変わるということ
ゲームに限らず、貴方が見ている世界の全てで、今、ナウ、NOW、起っています。
例えば 朝起きたら雨だったとしましょう
その「雨の日」を
あー、洗濯物乾かないわー、靴も汚れるわー、最悪だわー![]()
と受け取るか
雨の音は情緒があるわー、素敵だわー![]()
と受け取るかは貴方次第で
その日を憂鬱に過ごすことになるか、ほっこりした気持ちで過ごすかは
貴方次第なのです。
どうせ過ごすならほっこりしたいじゃないですか。
そうやって自分の周りの物事を少しずつでもプラスに受け止めたら
自分の世界が良い風に変わっていく気がしませんか?
車に撥ねられて骨が折れた!痛い!!
とか極端なものは無理ですが
この作業嫌だなーとか
あの人苦手なんだよなーとかは
ある程度自分の中で操作できるんだよって
その事を知ってるだけで世の中の見え方がちょこっと変わりますよ!
ということで先ほどのコレ
私がこれを怖くて進められないのは
このゲームが怖いのではなく、
このゲームに対して私が怖いと思っているからなのだ。
それを理解した上で
隣に息子を置き(一人だと怖い)
笑顔で声を出して歌いながら進めば(ポジティブな雰囲気)
行ける!!!
はず!!
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デデーーーン!!!(おばけ)
私「ウォォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
息子「ギャーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!(母の声に驚く)」
