夏だ
海だ
冷やしゲームはじめました![]()
今年も恒例のプランナー、ミッツです![]()
元々、自分はボードゲームの中でもプレイヤーが団結して、ゲーム側から提示されている
勝利条件に向けて挑戦していく『協力ゲーム(cooperative game)』が好きです。
最近のボードゲームだと『アンドールの伝説』や、
古典だとTRPGと呼ばれる分野も代表的な協力ゲームでしょうか。
近年はオンラインを活用して、コンピュータゲームもCo-opモードが搭載されるのが通例ですね。
もちろん、対戦するゲームだって好きなのですが、全員で苦労や喜び、様々な体験を共有する
充実感という点で、協力ゲームには、ゲーム以外の他エンターテイメントとは一線を画す
価値があると思っています。
しかし、この協力ゲームのメカニクスには、
競技ゲームにない難しい側面がいくつかあると自分は考えてます。
そのうちの1つ、顕著な現象が『個人の判断の剥奪』です。
協力ゲームの問題点![]()
プレイヤー全員が一致団結するような協力ゲームの場合、全員が勝利目標に向けて、
有機的に活動することになります。
魔法使いは魔法で、戦士は前線で、盗賊は罠や警戒を担当し、僧侶は味方の生命力を
回復させることに心を砕きます。
しかし、全員の勝利条件が共有されているということは、とりもなおさず、個人の利益より
全体利益を優先することが戦略上で有効、という結論に直結しやすいです。
そしてそれはひいては、個々のプレイヤーが独自に判断するのではなく、
プレイヤー総意に従うということです。
時には、総意ではなく強力なリーダーシップを持つプレイヤー1名に委ねることもあるでしょう。
そうなると、そのリーダー以外のプレイヤーはこのゲームに参加していることになるのか
やや難しいポジションになります。
言われるままにカードを出したりサイコロを振るだけでは、協力ゲームで得るべき充実感や
体験共有を獲得できない、つまり
面白くない
可能性が高いわけですから![]()
協力ゲームのメカニクスの持つ難しさとは、上述の例では誰もルール違反していないし、
むしろルールがそうすることの有効性を保証していて、なのにその結果では本来の面白さを
スポイルしてしまっていることです。
傲慢なプレイヤーの問題、と考えることもできるわけですが、それで結論というのでは、
ゲームデザインをするプランナーとしては納得できないところ。
ただ禁止するのではなく、きちんとしたゲームルールの構造でこの問題に取り組んで、
解決できるアイデアをコンセプトにゲームの企画が作れないか、
ここ最近、時々考えては頭を捻っている次第です![]()
ところで、3人以上のプレイヤーが競技する多人数ゲームでは、1人のプレイヤーが優位になると、
残りのプレイヤーが結託して、その上位プレイヤーを蹴落とす現象が見られます。
この時の
プレイヤー間の一時的結託
、これは将来的には解消する協力関係のため、
お互いがある程度は距離をとって、ほどほどに協力し、ほどほどに個々の利益を
追究するための判断を維持しています。
これはなかなか健全な協力関係として、協力ゲームの持つ問題を解決する何かのヒントに
なるかもしれない、などと現在も考えを進めています。
ゲームデザインとは、ルール自体が面白いことはもちろん、そのルールが運用されてることで、
プレイヤーたちがどんな振る舞いをして、その結果、どんな経験を得られるかというところまでが、
込みこみなものです。
プランナーを志す方は、既存ゲームをプレイする中でも、そういう部分に目を向けられてみると、
またゲームデザイン上の工夫や苦労が垣間見えて面白いと思います。
最後に、公安9課という部署に勤められている課長さんの金言をば、引用します![]()
「我々の間にはチームプレイなどという都合のよい言い訳は存在せん。
あるとすればスタンドプレーから生じるチームワークだけだ」
さすがは年の功。こうでなければ、百戦錬磨の9課どものリーダーは務まらん。
